The Story of Ryo Muto– 武藤 亮とは?
世の中のために何も出来ない…
17歳で味わった絶望が
私の人生の始まりでした。
はじめまして、武藤亮と申します。
私は現在、
クライアント様とお客様との関係を育む
LINEマーケティング専門家として、
LINE公式アカウントを活用した
売上アップや工数削減の支援を
させていただいております。
「LINE公式アカウントの活用方法が分からない」
「LINE公式アカウントを使っているけど効果を感じられていない」
「LINE公式アカウント(Lステップ)を自社の事業に取り入れたいけど、どのように活用すべきか分からない」
こういった
お悩みを抱えている方に対して、
クライアント様の事業 × LINE公式アカウントで
運用効果を最大化する
お仕事をさせていただいております。
支援させていただいた
クライアント様の中には、
ありがたいことに
下記のような実績を
出させていただいております。
- 【アパレル】SEO、リスティング広告、LINE公式アカウント運用を組み合わせて年商4億円以上の売上に貢献。
- 【営業スクール】LINE構築で1ヶ月で月間売上1,100万円。
- 【組織化コンサルティング】LINE構築で月間売上1,000万円。
- 【退職代行】LINE公式アカウントの問い合わせ対応業務を9割自動化、月間売上300万以上アップ。
- 【Webデザインスクール】LINE構築でLINE導入前の売上から2倍。
- 【ぶどう農家】EC・LINE構築でLINE導入前の売上から2倍。
- 【動画編集オンラインサロン】サロン説明会へのLINEの導線構築で年間売上300万円以上アップ。
上記のように、
LINE公式アカウント・Lステップ構築代行を
行っている事業者の中では、
高い成果を出せていると自負しております。
結果として、
大変ありがたいことに、
ほとんどご紹介のみで
事業を行うことができております。
本当に感謝してもしきれないほど
恵まれております。
ただ、私にとって
LINE公式アカウントを使った
マーケティングの支援をさせていただくことは
単に売上を上げることを
目指しているだけではありません。
目の前の売上を上げることだけが
目的であれば、
LINEの友だちを集めて、
サービス・商品価値を教育して、
恐怖を煽って売れば
ある程度の売上を上げることは可能です。
実際に
そのようなLINE構築サービスを
提供している事業者の方も
数多くいらっしゃいます。
ただ、もしも
あなたがそのような
LINEの仕組みを作りたいのであれば、
正直、私にご依頼いただく必要はありません。
とにかく煽って
短期的な売上を上げて終了
私はこういった仕組みづくりを
仕事にしているわけではありません。
私が目指しているところを
分かりやすく表現すると、
クライアント様と、
お客様の深い関係を育み、
お互いに感謝できて
助け合える関係を築いて、
長期的に売上・利益を上げていく
仕組みを作ること
上記を目的としています。
売上至上主義ではなく、
あくまで顧客関係至上主義の中に、
売上・利益を上げる仕組みを
導入していることがポイントです。
なぜ、
お客様との関係を育むことを
大切にしているのか。
それについて
お話させていただく前に、
私が17歳の頃に経験した
“ある出来事”について
お話しなければなりません。
武藤亮(むとうりょう)
という人間について
知っていただくきっかけとして、
お読みいただけると幸いです。
人生の価値観を180度変えた東日本大震災
私がこの仕事をすることになった
全ての始まりは、
2011年3月11日の東日本大震災
でした。
私は高校2年生の終わり頃、
仙台の実家に住んでいました。
高校3年生も目前で、
そろそろ受験勉強に力を入れようかなぁ、
でも部活も最後頑張らないとなぁ
そんなある日の出来事でした。
部活が終わって、
自宅でゆっくりしていたとき、
震度7の地震が発生しました。
ガタガタガタガタ!!!
家が揺れて、家具は床に落ちて、
一緒に家にいたのはおじいちゃんと犬と私だけ。
木造の家が壊れるんじゃないか
というくらいの轟音で
会話もほぼ聞こえない状況でした。
家族が買ったばかりのテレビを支え、
せめてこれは床に落とさないように
命がけで守りました。
(今思えば、テレビよりも自分の命を大事にしろと過去の自分に言いたいところですが。。)
それにしても、
めちゃくちゃ長く感じました。
いつまで経っても揺れが続き、
10分くらいは揺れていた感覚でした。
揺れが落ち着くと
おじいちゃんが部屋から出てきたので
「大丈夫??」と聞くと
「大丈夫。でもこんな大きい地震は
人生で一番だと思う。」
おじいちゃんは
当時90歳くらいだったので
そんなに長生きしていて、
一番大きい地震ってことは
とんでもないことが起きているのかも…
と思いました。
家の壁には亀裂が入って、
玄関にある靴箱などは全て倒れて
出入りできない状況。
家にある棚はほぼ全て倒れ、
机の上のものは床に落ち、
外に出ると電信柱の線が切れていたり、
コンクリートの地面にも亀裂が入っていたり、
何もかもがボロボロでした。
地震が起きた当日は、
家の中にいたままでは危険だったので
車の中で、兄と一緒に、
たまたま炊飯器に残っていたご飯と納豆を食べて、
車中泊したのを覚えています。
地震が起きてからしばらくは
携帯の充電も切れて、
電気もガスも水道も
復旧していなかったので
何が起きているのか
しっかり把握できたのは、
たしか地震が起きてから
1-2週間?1ヶ月?くらい経ってからでした。
自分が思っていたよりも
はるかにひどい状況になっていました。
たくさんの方が亡くなり、
家や建物は津波に流されて、
これまで生きてきた世界が
全て壊されたような感覚でした。
でも、世の中には
素晴らしい方が溢れていました。
支援物資を送ってくださる方や
億単位で募金してくださる方がいたり
被災地を力づけようと
余震の危険もあった東北に
路上ライブをしに来てくれた
プロの歌手の方など、
水道もガスも電気も止まって
まともな生活すら送れなかった
私達はとても勇気づけられました。
ただ、それと同時に
世の中の
何の役にも立っていない自分に
苛立ちが止まりませんでした。
私はこの時、決心しました。
「将来は震災で亡くなった人たちの分も、
生きたくても生きられなかった人たちの分も、
世の中に価値を提供できる人間になる」
この使命を果たすために
自分の人生を使い倒す。
ところが、、、
想像と違った社会人生活
大学卒業後、
大手不動産仲介会社の営業マンとして
働きました。
同期の中でも早いタイミングで
初契約も決めることができ、
順調にいくかと思ったのですが…。
現実は甘くありませんでした。
会社の集まりや同期の飲み会は、
会社や上司の愚痴ばかり。
通勤時間だけでも満員電車を往復2時間。
もちろん自分が選択した人生なので、
文句を言うつもりはありませんが、
休みの日を読書や筋トレなど
自己研鑽に時間を使っていたものの
「これじゃ全然ペースが遅すぎる。」
リーダークラスになるのに
おそらく5年はかかり、
所長になるには
たぶん10年以上はかかるような
会社でした。
震災で亡くなった方の分も
世の中に価値を提供できる人間になる
と言いながら、
40歳になった頃には、
おそらく20人くらいを束ねる所長止まり。
もちろんそのお仕事自体を
否定するつもりは全くありませんが、
自分が目指すところから考えると、
遅すぎるんですよね。。
遅くとも30歳で
自分の会社くらいは
作れるようになっていないと、
また何か大きな災害が起きた時に、
自分の無力さに絶望してしまう。
新卒で入社した大手不動産業者を
わずか10ヶ月で退社し、
Web業界への転職を決めました。
Webマーケティング事業を
行っている企業に転職し、
自社で運営しているWebサイトを、
Googleの検索結果で上位に表示されるように
SEO対策を施していく業務を担当することに。
不動産営業からの転職なので、
最初は全然成果が出ませんでした。
むしろ自分が修正を加えたサイトは
売上が下がることも多々…。
それでも30冊以上の本を読んで、
YouTubeやブログ記事なども読み漁り、
成果が出るために何をすべきなのか、
睡眠時間も削って調べまくりました。
半年くらい経つと嬉しいことに
少しずつサイトの売上も
上がるようになってきたのですが…
目指す場所を間違える23歳
しかし、
そこで私は方向性を
完全にミスります。
ブログで生きていくことを夢見て
会社を辞めることにしたのです。
ブログを書いて、
アフィリエイトで稼ぐことができたら、
人と会わなくても、
好きなときに仕事をして、
人間関係も気にすることなく、
旅をしながら仕事ができると思ったんです。
もっと直接的な表現にすると、
自分が楽できて、
自動的に収入が入る状態になれば
それが幸せなのではないかと思ったんです。
(正直、初めての業界で6ヶ月間も成果が出ない期間を味わい、社内での存在意義が見出だせない自分に疲れていたのもありました。)
でも、実際に
自分でブログ運営をしてみても
全然うまく行かなかったんですよね。。
一時的に月に5万弱くらいは稼げましたが、
売上を立て続けることができませんでした。
自分だけが楽して稼ごうとしても
上手くいくなんてことは絶対にないんだと
身を持って学べました。。
今度は、
手に職をつけようと、
プログラミングに
興味を持ちました。
プログラミングスキルを身に着けて
フリーランスエンジニアになれば
月50万くらい稼ぎながら、
場所を選ばず自由に暮らせる。
そう思って、
70万以上のプログラミングスクールに
入ることを決心しました。
私が持っていたカードは
それぞれ枠の上限があるので
当時住んでいた6帖の部屋の床に
クレジットカードを5枚ほど並べて
「これで人生を変えるぞ!」
と決心して
クレジット決済を完了させたのを
覚えています。
毎日5時間以上はコードを書き続けて
簡単なWebアプリを作れるようになったんですが
結局すぐにフリーランスになることはできなくて、
企業に就職するしか道は残っていませんでした。
かといって、
エンジニアで就職したとしても、
自分がしたいことができるのかはよく分からず、
これは後で分かったのですが、
そもそも就職できるほどのスキルが
身についていなかったので
結果的に、ただただ返済に追われる
毎日だけが残ってしまったんです。。
返済するためのお金を稼ぐために、
Webマーケターとして会社員になり、
副業でWebライターとして必死に働きました。
Webライターは、とにかく
書いた記事数がお金になっていくので、
ひたすら書き続けるしかないんですよね。
会社に通いながら
記事を書く時間を確保するために
出勤前の朝7時に
会社の近くのカフェに入り記事を書いて、
お昼休憩は
コンビニで150円以下のパンを買って
すぐに食べてカフェの中でまた記事を書き、
退勤後もすぐにカフェに戻り
終電間際まで作業をして帰宅。
要は
会社の中にいる時間以外のほぼ全てを
ライティングの時間に当てていました。
このときは、
お金も本当になかったので
カフェでは
一番安いアイスコーヒーのみ頼んで、
夜ご飯は
納豆とキムチと豆腐を日替わりでループさせたり、
時々組み合わせて食べたり…
まともに住める家もなくなって
ネカフェ生活をしていたときもありました。
そんな生活で体がヤバくなったのか
ネカフェで作業しながら気を失ったことも…。
(寝落ちしたのではなく、ガチで気絶しました笑)
それでも作業を止めたら
生活がさらに厳しくなってしまうので、
とにかく記事を書きまくり、、
「こんな生活いつまで続くんだろう…」
と心の中で思いながら
今成功している人たちも
きっとこんな時もあったはず。
頑張るしかない!!
そう言い聞かせて作業し続けました。
LINEマーケティングとの出会い
そんなある日、
たまたまTwitterで「Lステップ」と出会いました。
これからは
Lステップ、LINEマーケティングが
流行るというツイートを見て、
「LINEってビジネスにも
使えるんだっけ・・・?」
ミーハーな私は
すぐに「Lステップ」と検索。
どうやら
LINE公式アカウント(旧LINE@)と
連携することで、
マーケティング機能が
爆発的に上がるらしい。
さっそく
LINE公式アカウントのアカウントを作り、
Lステップを紐付けて
自分なりにアカウントを作ってみました。
私の特技でもある
ビートボックス(口でドラムの音を出す技)講座を
販売するLINEを構築してみたところ、、
「LINEマーケティング、
めちゃくちゃ楽しい!!」
となぜか
すごく興奮したのを覚えています。
そこで、
SEOコンサルをさせていただいている
クライアント様に、
「今、LINEって
こんなことができるらしいんですけど、
御社でもやってみませんか?」
と提案したら、
ぜひやりましょうとのことで
すぐに決まったんですよね。
結果的に、
SEOとリスティングとLINEを組み合わせて
総合的に支援させていただき、
年商4億円以上の売上に
貢献することができました。
さらに驚きだったのが、
クライアント様の
LINE公式アカウントに届く、
お客様からの感謝の声…。
500文字以上のかなりの長文で
メッセージが届いているのも
目にしました。
他のクライアント様の
LINE公式アカウント・Lステップを構築したときも、
お客様から感謝の声がたくさん届いたのです。
オンラインサロンを運営されている
クライアント様のLステップを構築した際には
「とても使いやすくなった!」
「さらにサロンを楽しめるようになった!」
などなど、
数多くの感謝のお声をいただきました。
「インターネットで偶然出会った人たちが
LINEでコミュニケーションを行うと、
こんなにも深い関係が築けるんだ!」
本当に衝撃的でした。。
この時代にLINEを活用する本当の意味
LINEを使ったマーケティングが
世の中にもっと広まれば、
世の中の人達の距離が
さらに縮まると思ったんです。
インターネットの発達や
コロナウイルスなど影響によって、
人間関係が希薄化している
この時代で、
LINEを使ったマーケティングの価値は
計り知れないなと思いました。
ビジネスでLINEを
上手に活用できれば、
お客様とクライアント様との
深い関係が育まれて、
売上向上や工数削減といった
ビジネス的なインパクトもある。
さらに、これをきっかけに
世の中の人たちの人間関係を
育むことができたら、
今後また
予期せぬ出来事が起きたとしても、
皆で助け合える関係が
築けるのではないかと思いました。
お客様が大変なときは
事業者様が支援できて、
事業者様が大変なときは、
お客様から支援できる
そんな関係を育めたら、
世の中はもっと幸せな気持ちで
溢れるだろうなぁ。
この生命を大切に、人生を生き尽くす
さらに、こういった
万が一のときでも、
お互いが助け合えるような関係が
もっともっと広がっていけば
チャレンジする人が溢れる
世の中になっていくのではないか
と思いました。
大変なときは
お互いが支え合える環境があれば
チャレンジできる土台が整って、
チャレンジする人が増えて、
今一緒に生きている人たちで
世界をどんどん育んでいける、
今ある生命を大切に、
後悔しないように生き尽くす。
そんな人達で
溢れる世の中になったら、
「東日本大震災によって、
生きたくても生きられなかった人たちの分も
世の中に貢献する」
私が高校2年生のときに決心した
この使命が果たせるのではないか
と思っています。
もしあなたがこちらの文章を読んで、
自分も武藤と一緒に
そんな世の中を目指したいと思っていただけたら、
ぜひ一緒に何かできれば幸いです。
感想などもお待ちしておりますので、
お気軽に下記からご連絡くださいませ。
長くなりましたが、
ここまでお読みいただき、
本当にありがとうございます。
こちらの文章をきっかけに、
良いご縁となれば幸いです。
ここまでお読みいただき
ありがとうございました!
ぜひあなたの想いを聞かせてください!